鶴が丘団地の歴史について
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▲開発当時の鶴が丘一帯(クリックで拡大) |
昭和47年(1972年)
鶴が丘団地は住友商事と第一生命が開発、鹿島建設が施工し、旧泉市松森字小追(当時の地名)の丘陵地帯が造成され、できあがりました。
周辺の団地よりも開発は遅かったのですが、仙台のベッドタウンとしては自然環境や交通の便、団地全体が南向きであることなど、セールスポイントが多かったと思います。
昭和51年9月15日に第一次分譲を開始(61区画)。坪単価は約11万円だったそうです。
販売当時は大変な人気で売り出すと即完売という状態だったようです(購入するために3日3晩並ぶ人がいたほどだったそうです!すごいですね(^_^;))。その後も順調に分譲が進み昭和53年12月、現在の形で鶴が丘団地は完成となります。
スーパーマーケット(ストーク)、プロムナード商店街、銀行、郵便局が集まる形で団地中心部を形成する街となりました。
ピーク時は平成5年、人口1万721人を数えました。しかし、その後は人口減少傾向になっていきます。
かつてプロムナード商店街は現在の店舗に加え、酒屋、本屋、手芸店などもあり、非常に充実していて、岩切や松陵からも集客があったとのことです。しかし、バブル崩壊後(1992年ごろ)あたりから不況となり松陵団地にヤマザワが開店したこともあって、ストークは閉店に追い込まれました(2005年?)。その影響もあり、プロムナード商店の閉店も相次ぎます。
人口減少、少子化、高齢化については、鶴が丘に限ったことではありませんが、どうしようもなく進行していきます。
大きい賃貸マンションなどがあればまた事情が違うと思うのですが、ほとんどが戸建住宅なので居住環境は非常に良いにも関わらず、新規入居者はあまり入って来られない状況です。
現在(平成23年時点)の人口データは、こちらでご覧ください。
鶴が丘団地のこれから
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行政もこうした団地の課題に取り組み始めています。しかし、何よりも住民が高い意識を持って考え、取り組んでいかなければなりません。
まずは自分が住んでいる地域を知ることから始まると思い、このサイトは立ち上がっています。さらに、意見、要望なども集められる仕組みになっていますので、ぜひご活用いただき、よりよい地域社会の形成につなげていただければと思います。